もうメジャーへ行くな!松坂投手

松坂投手の代理人スコット・ボラス氏とレッドソックスの交渉が難航しているようだ。双方の契約金の隔たりは相当大きく、ボラス氏は交渉決裂で西武残留までちらつかせているようなのだが...。

 まず代理人とは何だろう。松坂投手は交渉は代理人に任せているというが、ならばこの強気の交渉を依頼しているということになる。そもそも本人の意向を超えた交渉をする人は代理人とは言わない。もし交渉決裂で西武残留を本当に視野に入れているならば、松坂投手にとってのメジャーとは何だろうか。
 ボラス氏が悪いようにはしないから任せてくれと松坂投手の意向を封印しているという意見もある。もし松坂投手の意志が第一がメジャー入団、第二が年俸だとすれば、西武残留はブラフでしかない。もしブラフでないとすればそれは代理行為ではなく松坂投手の売買行為としかいえなくなってしまう。そうでないとすれば、松坂投手の意志の第一は年俸だということになる。
 代理人ボラス氏は「日本のファンに理解しておいてもらいたい。大輔はいずれはメジャーで投げるし、彼の夢はかなう。大輔が契約で十分に敬意を払われないままマウンドに立つのを見たいとは思わないだろう」とコメントしているが、日本のファンは本当にそう思っているだろうか。
 代理人の言葉は本人が代理人を依頼している限り、松坂投手そのものの言葉と理解していい。違うなら否定し、意志に合わないなら解任すべきだが、そうしないことから松坂投手の意志だと言えるものだ。ならば松坂投手自身がそのままコメントしているに等しい。
 日本のファンは松坂投手が高額の年俸をもらっているのを見たいことよりもメジャーで活躍する姿を見たいはずだ。日本のファンを無視したような松坂投手の現在の姿は、もうメジャーへ行くなと言いたくなるものでしかない。

ハルウララとばん馬への違い(ばんえい競馬廃止へ)

北海道のばんえい競馬が廃止になるようだ。北見市稚内市岩見沢市が相次いで撤退を表明し、残りは帯広市のみ。帯広市も単独開催では存続できないと表明していたこともあり、来年3月までに廃止は確定的のようなのだが、これでいいのだろうか。

 毎週末にJRAの競馬を楽しんでいる人のうち99%はばんえい競馬をみたこともないに違いない。北海道にだけ存在するばん馬という巨大な農耕馬によるそりを引いて坂道を越えるレース。
 かつて北見競馬場へ行ったときには観客は200人ほどだった。その当時の予想紙は2紙。その印が全く当ってなかったため、高配当続出だったことを覚えている。
 そりを引いて競う競技なのだが、パドックでは騎手は馬に跨る。サラブレットと違い、丸太のような太い脚。騎手が乗ったそりを引くばん馬のレースは、最初低い坂を超え、一旦休止して再び高い坂を超えてゴールを目指すもの。観客が馬と一体化して同じスピードで歩きながらゴールを目指す。坂を超えようとする瞬間に思わず力が入る。
 日本独特の文化ともいえるばんえい競馬を何の観光資源にする努力もなく廃止しようとする空気。その廃止論の雰囲気のなかには、競馬が文化なんてとんでもないという文化の本質を理解しない理論が見える。
 確かに赤字という数字は動かせない。だが、主催者である市の担当者に本当のアイデアはあったのか?情熱はあっただろうか。その前に日本の文化という意識さえなかったのではないか。...文化を守るのは誰の責務なのか。
 今、夕張市のあまりの無能な行政が話題になっている。無能のツケを住民に負わせて平気な役所はどこでも大同小異。その役人達は...。福島・和歌山・宮崎の知事は氷山の一角なのだろう。役人出身の知事や市長が多い現在の日本では役所にアイデアも情熱も、もしかしたら正義もないことが普通でまかり通る。だが、そんな知事や市長を選んだのは住民そのもの。自業自得な結果になってからでは遅いことを夕張の人はやっとわかったことだろう。国民には、夕張を他山の石とできるのかどうかが問われている。
 外国ではボランティアで様々な文化が守られ存続していて、住民も行政も一体となって努力している姿が見られたりするのだが...。
 一度廃止されたらもはや二度と復活することはないばんえい競馬。その3000頭の馬達には何も知らされないまま馬肉となるしか道は残っていないのだろうか。

1ヵ月で講演など100件というプロアスリートの現実(チームQ)

3日連続で高橋尚子選手の話題。サンスポにこんな記事があった。「今回の敗戦で100件以上あった取材やイベント出演の依頼をすべてキャンセルし、12月中旬まで休養をとる高橋」。高橋尚子選手のプロとしての行動パターンが読み取れる。

 わずか1ヵ月で100件ということは、1日平均3件を超える。おそらく全国行脚に違いない。知り合いのスポーツライターが月30本の講演を入れているがその状況の現実を知っているだけにこの100件はもはやアスリートとは言いがたい。
 今回の敗戦に関して同じくサンスポで小出監督の「やせていて肌つやが悪かったな。練習がうまくいかなかったのはすぐわかった」というコメントがあった。さらに「だんだん年をとるんだから、練習メニューは毎年変えないといけない。とくにレース前2週間の調整が大事なんだけどな…。」という言葉に高橋尚子選手が主導で練習メニューを決めているチームQの体制がプロとしての体裁を整えていないことがわかる。
 さらに小出監督は「マラソンをよく知っているスタッフとちゃんと練習すれば、Qちゃんはまた2時間20分で走れる」と続けているようだが、チームQがマラソンに関しては素人集団であると言っているようなもの。だが、もし小出監督自身が指導しても2時間20分でしか走れないと言っている現実もある。この言葉はもはや高橋尚子選手は世界の第一線で走る力はないと断言しているに等しい。
 100件の1回平均が安く見積もって100万円としても月1億円。プロアスリートとして資金が必要ではある。だが、試合前数ヶ月以外の1ヵ月に講演やイベント・取材100件の連続というスケジュールを続けてきたプロアスリートに、もはや最盛期の幻想を期待することなく、マラソンを楽しむ環境を用意した方がいい時期ではないのか。

プロとしての自覚とは何か(高橋尚子選手)

昨日の記事「伝説の終わり、ごくろうさま高橋尚子選手」で書いたとおり、東京女子マラソン高橋尚子選手は再び後半失速して3位に終った。高橋選手は引退を否定したようだが、それでは今後どこへ行くつもりなのだろう。

 東京マラソン後の新聞記事には3位に敗れた理由として「ふくらはぎを痛めていた。きょうも痛み止めを2錠飲んでいた」と書かれている。またか、というような理由。言い訳ではないとしても、プロとしてこのコメントは恥ずかしいことではないのか。
 プロアスリートとは人にその競技する姿を見せて対価を得ている者。ならばその姿には責任を持たなければならない。本番に向けて最高の状態に持っていくことを望まれていることはもちろんだが、たとえ何かの理由があったとしてもそのせいで結果が出なかったことを口にしてはいけないのではないか。
 それはプロとしての準備さえできていない状態だったことを暴露することでもある。すなわち、チームQはプロとして活動できていなかったというスタッフに対して失礼なコメントになってしまう。また正々堂々と戦った相手に対しても非常に失礼な行為にもなってしまう。
 以前から小出監督が目を光らせていなかったら怪我をしかねないことはわかっていたことだ。小出監督はそう発言している。なのに独立してプロとなってそれさえ克服できていないことを自らのコメントで表明すべきではない。それでは世話をしているチームQのスタッフはやりきれないとは思わないのか。
 高橋尚子選手は引退しないそうだ。もはや自らの意志では引退できない境遇なのかもしれない。それ以外の理由もあるだろう。
 今回の高橋尚子選手は、プロとは何かを考える教材となりそうだ。

伝説の終わり、ごくろうさま高橋尚子選手

東京女子国際マラソン土佐礼子選手が最初から一度も主導権を譲らないまま優勝した。テレビ局期待の高橋尚子選手は34km地点から一気にペースダウンし、39km地点では尾崎朱美選手にも抜かれて3位で終った。伝説の終わりの瞬間。あの優勝のシドニーオリンピックなど高橋尚子選手には感動をありがとうございました。

 シドニーオリンピック後にはあの本来の走りは見せないまま、アテネオリンピック優勝の野口みずき選手との直接対決のないまま、もう全盛期対決はないだろう。
 高橋尚子選手が独立したときにこうなる予感はあった。それは「高橋尚子選手は北京で走れるのか」と「高橋尚子選手の初心とは何か」で書いた。瀬古監督の言葉はやはり真実だったのだろう。
 一時代の終焉の瞬間。それは寂しさを感じる瞬間でもある。だが、今までのその栄光が薄まることはない。高橋尚子選手には改めて今までごくろうさま、そして感動をありがとうという伝えたい。そして有森裕子選手のように今後後進の励みとなる活躍を期待したい。

 そして優勝おめでとう土佐礼子選手!2位よくがんばった尾崎朱美選手!

上原投手の掴む後ろ髪はない(松坂投手・井川投手のメジャー挑戦)

松坂投手に続き、井川投手もメジャーへ挑戦することが決った。日本を代表するエースとしてぜひメジャーでも活躍してほしい。かつてメジャー挑戦を訴えた各球団のエースたち。行けなかったのは巨人の上原投手だけのようになった。

 だが上原投手には他の投手と違って、最も最初にメジャーへ行ける機会があった。それは入団のとき。その内容は「過ちは取り返せないのか(選手と契約)」で書いたことなのだが、上原投手に関しては過ちは取り返せなかったということになる。巨人という球団へ入団するということはそれだけのリスクを覚悟するということだと今後の選手は自覚するべきだろう。
 かつて勝ち星が多く負け数が少ないエースとして巨人を引っ張った上原投手の姿は今年のペナントレースにはもうなかった。巨人は上原投手のエースとしての資質をどんどん削いでしまってやっと普通の投手にしてしまった感さえある。有名な敬遠事件のことは「勝負しろ上原!と言えなかった巨人(上原投手をメジャーへ)」で書いた。対する巨人の対応に関しては「メジャーへの目標と球団の対応(上原投手の理論)」から変わっていない。その後の上原投手のある意味であきらめた気持ちは「巨人上原投手と渡辺会長の共通性」で書いた通りだ。あきらめてしまった上原投手とあきらめなかった松坂投手、井川投手。もし今後FAで上原投手もメジャーへ行く機会が与えられたとしてももうあの巨人のエースだった頃の上原投手には二度と戻らないことだろう。だが、もしそのときがくれば巨人を見返すピッチングをしてほしい気もする。

高校生の気持ちを翻弄することが作戦という巨人

高校生ドラフトが終了し、事前の競合すると思われていた選手の行き先も決定したのだが、ニュースで巨人のドラフト作戦が放映されていた。その場で長島一茂氏の発言は巨人という球団の選手をどう扱っているかという意識が反映されていて面白い。
 長島一茂氏はこういう意味の発言した。「ドラフトのはずれ一位候補で全く別の(指名する予定のない)選手の名前をマスコミに流すのは作戦だ」と。
 巨人の1位指名は愛工大名電高の堂上選手だったが中日・阪神と競合してはずしてしまう。だが本来は隠し1位こそがドラフト作戦だという。巨人は内野手がほしいのだが、他球団に指名されないようにマスコミに報道された名前は広陵高の吉川投手、または瀬戸内高の延江投手だった。内野手をほしがっていることを他球団に悟られないように指名する気のない投手をリークしたものなのだろう。
 この何が問題なのかといえば、清原選手と桑田投手のドラフトを思い出してほしい。巨人軍が吉川投手と延江投手に対してやっていることは、まだ高校生である投手の気持ちを弄んでいることに変わりはない。それが作戦だと涼しい顔をして知らん振りを通せる長島一茂。この人たちにチーム内の選手の気持ちがわかるはずはない。隠し玉として入団したはずの桑田投手さえ監督にも本心を話さないまま去っていく巨人軍。こんな人たちが経営する球団ならばそれも仕方ないのかもしれない。